熊本からの上京物語Yahoo!ライフマガジン編集長秋吉健太さん

就職や入学と同時に上京する人がいる一方、転職を機に上京してくる人も多くいます。熊本県出身、Yahoo!JAPANの生活情報メディア「Yahoo!ライフマガジン」編集長の秋吉健太さんもその一人。熊本学園大学を卒業後、新卒で地元の出版社に就職。3年ほど勤めたころに転職を決意し、上京しました。社会人としての経験もあったものの、初めて地元を出た東京での生活はそれまでとは違ったという秋吉さん。どんな「上京ライフ」を送っていたのでしょうか。当時についてお話を伺いました。

26歳の夏、地元を離れて東京へ

まず、上京した経緯から教えてください。
秋吉さん(以下、敬称略):当時20代の僕は、地元熊本のタウン誌「タウン情報クマモト」編集部にいて、「熊本女子高制服大百科」という特集企画を担当したのですが、それを読まれた某出版社の女性漫画雑誌編集部の方から「面白かった」と編集部宛てに手紙をいただいたんです。同じ頃、今度は某男性向け情報誌の熊本ロケを手伝う機会をいただいたのですが、その担当編集者が「秋吉君なら東京でもやれると思うよ。東京に来てみたら?」と評価してくれて。それが東京を意識し始めた最初のきっかけです。

それまでは東京で働くことは意識してなかったんですね。
秋吉:最初は営業としてタウン誌の会社に入社したのですが、出来上がってきた本を読むたびに「自分ならこんな企画をやりたいな」と本作りの方に興味が移っていったんですね。それから社長に頼み込んで、編集部へ異動させていただきました。

編集者としていろいろと経験していくうちに「本づくりをしっかり学ぶために、東京に行きたい」と思うようになりました。インターネットが普及して、みんながスマホを手にしている今なら、地方にいてもいろんなことが学べると思うんですけど、当時は情報が無かったので、まず東京に行くべきかと……。その後に退職して上京することにしたんです。26歳の夏でした。

26歳当時の秋吉さん

上京7日目、気が付いたら地元の空港にいました(笑)

上京後はどんな生活を送っていましたか?
秋吉:僕は大学も熊本だったし、修学旅行でも東京に来ていないから、本当に初めての上京で、東京のことをまったく知らなかったのでどこに住んでいいかも分かりませんでした。もちろん友達は一人もおらず、東京で唯一の知り合いだった先輩からの「東横線沿いに住みなよ」という助言を頼りに、不動産屋さんに紹介された「都立大学駅」近くで部屋を借りたんです。「〇〇荘」という築30年以上の木造アパートの1室、1DKの部屋でした。リノベーションされていて部屋自体は結構綺麗だったのですが、外観はトタン板に木造の、「初めて見るのになんだか懐かしい」という気持ちにさせるアパートでしたね(笑)。部屋を内見に行った際に敷地内に井戸があったので、試しに手動式ポンプを上下すると「ジャー」とちゃんと水が出てきて、それが面白くて即決しましたね。

絵に描いたような古いアパートが想像できました。仕事面はいかがでしたか?
秋吉:東京に出てきたものの、仕事は何も決まってなかったんですよ。「いずれ出版界に行きたいな」っていう気持ちはありましたが、情報もないので具体的に何をしていいか分からず。まず始めに「ライター」と書いた名刺を作って、以前声をかけていただいた編集者に挨拶に行くことにしたんです。編集部に行って顔を出したら「あれ、本当に来たの!?」なんて言われて、その時はちょっと焦りましたね(笑)。

東京急行電鉄東横線の都立大学駅

誰も知り合いがいない状況で上京してきて、寂しくはなかったですか?
秋吉:上京して一週間くらい経ったころだったかな? 確か東京駅にいたはずなのに、気が付いたら熊本空港にいましたね(笑)。

え? どういうことですか(笑)?
秋吉:寂しくて熊本に帰りたくなってしまったんですよ(笑)。それくらい東京では孤独を感じていたわけです。当時はfacebookやTwitterもないので、地元の友人たちとの関係がぷっつりと切れてしまうんですよね。東京の街を歩いていて何か面白いものを見つけて「共有したいな」と思っても、リアルタイムでそれをするには当時は電話しかないので、時間もお金もかかるし。

東京生活が始まって一週間くらいした頃、東京駅のホームにいたのですが「とりあえず一回帰ろう」とそのまま電車で羽田空港に行って飛行機に乗って熊本に帰っちゃいましたね(笑)。当日券だから飛行機代も高かったんじゃないかなぁ(笑)。その後は一週間くらい熊本に滞在して、また上京しました。でも、3カ月間くらい仕事はなかったですね。

3カ月間、無職状態……?
秋吉:ええ。僕の持論として“何事も最低3カ月はかかる”んですよ。僕の今までのパターンは、動き始めてから3カ月後くらいから大きな仕事が決まったりすることも多くて。なので、今でも自分の思うようにいかない状態の時はそのことを思い出してあまり焦らないようにしています。

ちなみにその3カ月間はどんな暮らしを?
秋吉:当時の朝日新聞の日曜朝刊に「マスコミ求人案内」が載っていたんです。なので、毎週土曜は朝まで起きて新聞が届くのを待っていたんですよ。で、明け方に郵便受けから「ゴトン」と音がしたら「あ、新聞が届いた」って郵便受けに新聞を取りに行って。それから新聞に掲載されているいろんなメディアの求人情報をチェックしていましたね。今は自宅にいても、カフェでお茶を飲んでいても、スマホで就職情報をどんどんチェックできる。本当にいい時代ですよね。情報があれば選択肢が増える、チャレンジができる。

現在はSNSなどを上手に活用し、自ら情報発信もしているという秋吉さん

東京を知るために『東京ウォーカー』を読む

当時の生活で一番困ったことは何ですか?
秋吉:やっぱり自分の住んでいる街の情報が手に入れにくかったことですね。だから1990年代当時は都市情報誌の『東京ウォーカー』が流行ったんだと思います。僕も東京に来て最初に買った雑誌は『東京ウォーカー』でした。あとは小さな『ポケット地図』ですね。その地図の後ろに東京中を走る電車の路線図が付いていて、それを見て毎回乗り換えの駅を確認して、地図を見ながら目的地に行く感じでした。この2冊は当時東京で暮らす若者の必携の書だったのではないでしょうか。

今はいろんなアプリがあって、「Yahoo!乗換案内」を使えば終電の時間や目的地への到着時間など、知りたいと思ったことをその場で調べられるし、地図アプリの「Yahoo!MAP」を使えば目的地まで最短のルートでナビゲートしてくれる。そう考えるとスマホの登場は本当に生活を便利にしましたね。

スマホが登場する前の上京って、今よりすごくハードルが高かったと思いますよ。

26歳で上京してきて、街を知るために『東京ウォーカー』を読んでいた自分が角川書店(現KADOKAWA)に入社し、その後『東京ウォーカー』の編集長になるなんて当時は夢にも思わなかったので、人生はどうなるかわかりませんね。

どんなところへ出掛けていたんですか?
秋吉:歴史が好きなので、歴史をたどるように散歩をしました。散歩ならお金もかからないし(笑)。

たまに「雑司ヶ谷霊園」へ行きましたね。ここにはいろいろな偉人のお墓があるんですが、夏目漱石や泉鏡花、竹久夢二のお墓を尋ねたりして。教科書で学んだ人たちのお墓を見て「ああ、今自分は東京にいるんだなぁ」って実感したのを覚えてます。歴史上の人物を身近に感じられたことは、東京に出てきて良かったことの一つかもしれないですね。

「雑司ヶ谷霊園」は都電荒川線「都電雑司ヶ谷停留場」から徒歩5分の場所に位置する

魚の赤身がおいしいことに感動

食事面については如何でしょう。地元の味が恋しくなることはありましたか?
秋吉:九州と東京だと、醤油と味噌が違うんですよ。地元は麦味噌で、醤油は色が濃くて甘いですし。基本的に地元の料理は甘い味付けだったので、その違いは東京に来て感じました。

食事で東京に来て感動したのはマグロの赤身。地元では白身の魚をよく食べていたので、マグロの赤身を食べてもおいしいと思ったことがあまりなかったんですけど、上京してから初めて鉄火丼を食べた際に「うわ!美味しい!」と感激しました。全国からマグロが集う東京ならではかなと。

なるほど。ちなみに上京後、新たに始めたことはありますか?
秋吉:サーフィンですかね。湘南の鵠沼海岸に行ったりしていました。あとは高尾山! 地元ではよくキャンプに行っていたから、こっちでも自然に触れたかったんですよ。

当時の高尾山は今みたいに人が登っていなかったですし。東京の人って何故かあまり高尾山に登らないですよね。年間で430万人が登る、世界で一番人が登っている山なのに(ちなみに富士山の登山者数は年間約30万人らしいです)。高尾山は面白いですよ。リフトとケーブルカーがあるので、登ろうと思えば革靴でも頂上まで行けちゃうんです。景色もいいし、途中お団子屋さんもあるし、駅には温泉もあるし、おいしいそば屋さんもたくさんあるし。いいですよ~。ここ最近は元日に酒場詩人の吉田類さんと一緒に高尾山に登っています。

高尾山を楽しむ吉田類さん(右)と秋吉さん

友達を作るなら行きつけのお店を作ろう

行動は基本的に一人でしたか? 友達作りとかでアドバイスが何かあれば……
秋吉:“行きつけのお店”を作ったらいいんじゃないですかね。会社の近くか、自宅の近くにあると通いやすいと思います。一度行ってみて気に入ったお店があったら、そこに何回も行くことが大事だと思います。一回目から他のお客さんと仲良くなることができる人って『酒場放浪記』の吉田類さんくらいじゃないですか(笑)。

僕も初めて入ったお店で、常連だらけの中で会話に入れなくて敗北感たっぷりに帰ったことは何度もありますよ(笑)。最初は誰とも話さないで終わるかもしれないけれど、2回、3回と通っていくとお店の方も覚えてくれて、話しかけてくれたりするようになります。

これから行きつけの店を作るとしたら、何処かおすすめはありますか?
秋吉:「新宿ゴールデン街」にあるお店とかはいいんじゃないですかね。全国的に見ても、歴史のある“飲みに特化した街”ってあまりもう残っていない。新宿なのでアクセスも良いですし。昔の新宿ゴールデン街は僕も入れないようなお店もいっぱいありましたけど、今は若いオーナーが経営しているお店も結構増えました。昔と違い、ずいぶんおしゃれなお店がたくさんあるし。新宿ゴールデン街みたいに、足を踏み入れるとなんだかわくわくした気持ちになれる場所に行きつけのお店があると、人生は豊かになると思います。

上京後、約半年後に角川書店に就職。「同期の存在はありがたかった」と話す秋吉さん

常にアンテナを立てておくべき

これから上京する人に向けて、今、どんなことを伝えたいですか?
秋吉:これからの時代は皆さんが就職されたとしても、一生その場所(会社)に居続けることは少ないと思うんですよ。これからは「5G(第五世代通信システム)」の世の中になって様々なモノがネットと繋がり、いろいろなことが劇的に変わっていく。僕たちだっていつまでスマートフォンを使うかもわからない。もっと便利な世の中になって必要とされる職種が変わり、いまこの瞬間誰も考えつかない新しい職業がどんどん生まれていく。

これからは「いろんなことができる人」を目指すべきだと思います。昔は「器用貧乏」と言って「いろいろできるけど、一つのことを極められない」という風に揶揄していたと思うんですが、今はいろんなことをできる人の方が強い。時代の変化を素早く察知して、臨機応変に対応できる人こそが、これからの時代をたくましく生き抜いていけると思うんです。一つの場所に固執せず、派閥争いしたりせず。もし、今いる場所で満たされない想いがあるとしたら、頭を切り替えて「これはこっちで」「もう一つはこっちで」という風に別の場所で満たせばいい、そう思います。

仕事でもプライベートでも、とにかくいろいろな「アンテナ」を立てておいた方がいいですね。どんな仕事にも、それに携わっている人の努力や知恵、工夫というバックストーリーがあります。例えば、近所のたい焼き屋さんのたい焼き一つにしても、「アンコはどこの小豆を使って」「どういう風に調理すれば美味しいか」という風にいろんな創意工夫が行われていますよね。それらを知ることで、そのたい焼きをわざわざ買いに行く作業も楽しくなります。大切な誰かへのお土産にして「このたい焼きのアンコがすごいんだよ!」という風に誰かと共有したくなる。知識があると毎日が楽しくなります。

情報があれば選択肢が増えるし、チャレンジすることができる。情報を元にアイデアが生まれる。なので、上京したら流行っている場所に行くことをお勧めします。実際に足を運んで体験してみて、「なぜここはこんなに人を集めているんだろう?」と自分なりに考察してみることが大事です。行ってみて、自分の好みじゃないかもしれないけれど、実際に体験してそれを感じたかどうかにも意味があります。あとはせっかく東京に来たのだから、歴史や文化、芸術をその目で見て知識を得た方が楽しいと思いますよ!

秋吉さん、ありがとうございました!

<プロフィール>
秋吉健太 あきよしけんた/1969年生まれ、熊本県出身。『Yahoo!ライフマガジン』編集長。熊本学園大学を卒業後、地元の出版社に就職。1996年、東京の出版社への転職を決意し上京。1997年、角川書店に入社後は『九州ウォーカー』の創刊や『東京ウォーカー』編集長などを担当。2016年からは生活情報メディア『Yahoo!ライフマガジン』編集長を務めるほか、コンテンツディレクターとしてイベントやプレスカンファレンスの企画、メディアコンサルティングなども手がける。

インタビュー・文:菊野理沙
構成=小山田滝音

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